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柴 栄(さい えい)は、五代後周の第2代皇帝。五代で随一の名君とされる。 == 即位まで == 祖父は柴翁(諱は不詳)で、実父の柴守札(字は克譲)は郭威(太祖)の皇后・柴氏の弟である。柴氏は郭威と同郷の州(けいしゅう)出身で、郭威の即位前より内助の功を発揮し、その覇業を助けたと言う。柴氏は郭威の即位前に死去し、即位後に郭威がその死を惜しんで皇后を追贈した。加藤徹は柴栄が郭威同様に漢化した突厥沙陀部出身と推測している。また、岡田英弘も柴栄が生粋の漢民族なのか懐疑を示している。 柴栄は幼い頃より伯母の嫁ぎ先である郭威の家で養われ、後晋末に郭威の養子となっていた。郭威が権力を獲得していく戦いの中で柴栄も助力し、郭威が後漢の枢密使・天雄軍節度使となると、柴栄も郭威の下で天雄軍牙軍(親衛隊)の総指揮官となり、郭威が後漢に対してクーデターを起こして開封へと侵攻した際には、根拠地である魏州の防衛を任された。郭威が即位して周を建てると、州(現在の河北省濮陽県)節度使とされる。 郭威の一族は後漢の隠帝に殺害されていたこともあり、954年に郭威が没すると後継者に指名されて即位することとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柴栄」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Chai Rong 」があります。 スポンサード リンク
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